僕らはきっと便利になって少し不幸になった
2010.06.01
すべては等価交換なのかもしれませんね。
デジカメになって、シャッターを切るのが無料になって
気がつけば毎日何十回とシャッターを切っています。
カメラを向けて、細かいことは気にせず
とりあえずカシャリ。
そして、いつでも見れるその写真は
年間1万枚とかとんでもない数になっていて。。。
それを見直すだけで何日かかるのか分かりません。
昔、フィルムだったころにはもっともっと
気を使ってシャッターを切ってたし、
現像した写真はもっと大事だったなぁ。
ポラロイドなんか1枚100円とかだったし。。。
気がつけばこれに似たようなことはたくさんあって
Googleでちょこちょこっと検索しちゃうから
いろんなことを考えなくなったり、
いろんな写真を見て、その場所に行った気になったり。。
簡単にできる。便利にできる。無料でできる。
そんなことがその行動と真剣に向き合う
機会や覚悟を奪ってるのだとしたら、
それは実はちょっと不幸なんじゃないかな。
そう思うのです。
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