村上春樹が語る「英語の小説を読むための幾つかの方法」
2011.05.23

1981年に書かれたものを発掘したのでメモがわりに。
村上春樹は学生のころには特に英語が得意だったわけではなかったそうで成績は真ん中ぐらい、でも英語の小説だけはするすると読めたようで、1981年(32歳)の時点で、1000冊近くの英語の本を読破しています。
英語を読めることは習慣の問題
原書を読むというのは語学能力や学校の成績には関係のない、いわば習慣の問題ではないかという気がしてくる。そして一度この習慣が身についてしまえば、自転車や水泳と同じように死ぬまでそれを楽しむことができるはずだ。
まだ翻訳されてない原書を読みたいという好奇心に支えられた「第一段階」。続いて、原文を読む喜びを体で知る「第2段階」。
英語的な表現や洒落や行間に漂う雰囲気なんかは原文でなくては味わえないものなのである。とくに会話に関しては、どれだけ上手い訳者の手にかかっても2、3割がたはその味が減殺されてしまうと思って間違いはない。谷崎潤一郎や三島由紀夫の英訳本とその原文を比べてみれば、これはわかっていただけるはずだ。
そして朝起きてコーヒーを読むように英語の小説が読めるようになる「第3段階」と英語の小説を読む習慣は身についていくのだそうですよ。
英語の小説を読むことを日常的習慣として身につける方法
村上春樹はこの習慣を「日本語を一切読まない」ことで身につけたんだとか。
参考までにぼくが実行して成功した方法をあげておくと、要するに日本語を読まない、これに尽きるわけです。日本語の小説はもちろんのこと、新聞も雑誌も一切読まない。「ポパイ」も「プルータス」も「プレイボーイ」も「ナンバー」も「週刊文春」も「話の特集」も「噂の真相」も「家庭画報」も「暮しの手帖」も「中央公論」も「朝日ジャーナル」も「漫画アクション」も、とにかく何もかも読まない。テレビを観ない、ラジオも聴かない。そして身のまわりに何冊か英語の本を置いておく。これだけです。いやでも英語の本を読むようになる。
もちろんこれはあくまでも自分のやり方であって、そうでなくてはいけないというわけでないとも語っています。
大事なのはすべては良くなりつつあるという楽観的な姿勢を崩さぬことと、本を読んでいるあいだは辞替を使わぬこと、この2点です。
すべてを日本語にというのはさすがに難易度が高いですが、村上春樹はこの文章を書いた10年後にアメリカの大学の教壇に立ち、英語で授業をすることになるんですよね。そう思うとこのぐらいやらないと英語を自転車に乗るように使いこなすのは難しいのかもしれません。
ちなみにタイトルは「英語の小説を読むための幾つかの方法」でしたが、読んでみると文章の中に書いてあった方法はこれ一つでした(笑)。
(別冊宝島24 道具としての英語・読み方編 1981年6月25日初版発行より)

