村上春樹が執筆した箱根駅伝限定CM「走ることについて語ること」について僕の語ること

2012.01.20

走ることについて語ること

2012年1月2日、箱根駅伝の放送中に「走ることについて語ること」というCMが放送されました。

サッポロビールによって作られたこのCMは東日本大震災についての言及こそありませんでしたが、「困難な道のりを越えて走りつづける、日本のみなさまへの、心をこめた」「特別なメッセージ」とのこと。

 
ナレーション原稿は小説家・村上春樹、映像は映画監督・是枝裕和によって制作されるという夢のようなコラボCM。全4話構成でそれぞれが独立した1分間のCMです。

村上春樹のナレーション原稿はこのために書き下ろしたものとのことでしたが、その土台は2007年に出版されたエッセイ「走ることについて語るときに僕の語ること」からの抜粋。

箱根駅伝のCMを見て、久しぶりに「走ることについて語るときに僕の語ること」を読み返してみたので、CMの前後の下りを補完しながら、まとめておきます。
(ページ数はすべて文春文庫版の「走ることについて語るときに僕の語ること」より)

 
 

「走ることについて語ること」第1話が放送されたのは1月2日9時40分頃。2区13キロ地点で、早稲田が後続に50秒ほど差をつけて独走していました。

走ることについて語ること 第1話

「痛みは避けられない。でも苦しみは自分次第だ」、あるときそんな言葉を覚えた。
そして長距離レースを走るたびに、頭の中でその文句を繰り返すようになった。
きついのは当たり前。
でも、それをどんな風に苦しむかは、自分で選びとれる。
サファリング・イズ・オプショナル。
へこたれるもへこたれないも、こちら次第。
苦しいというのはつまり、僕らがオプションを手にしているということなんだ。

 
日が暮れたグラウンドで走り続ける陸上部の若者たちのトレーニング風景が描かれる第1話。

「痛みは避けられない。でも苦しみは自分次第だ」という部分は、村上春樹がインターナショナル・トリビューン紙に掲載されたマラソンランナーのインタビュー記事で読んだ「Pain is inevitable. Suffering is optional.」という言葉が元になっています。

たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う。
(走ることについて語るときに僕の語ること:P5-6)

時として人生にもたとえられる長距離レース。苦しいことがあったときに、それをどう消化するのかのもまたその人のオプションということなんでしょうね。

 
 

第2話が放送されたのは1月2日10時20分頃。3区4.5キロ地点で、2区の後半で東洋大に逆転を許した早稲田が追撃中。後方では上武大を山梨学院と拓殖大学の留学生コンビが追い抜いていきました。

走ることについて語ること 第2話

僕やあなたのような普通のランナーにとって、レースで勝ったか負けたか、
そんなのは大した問題じゃない。
自分の掲げた基準をクリアできたかどうか、それが何よりも重要になる。
判断はあなた自身に委ねられている。
自分の中でしか納得できないものごとのために、
他人にはうまく説明できないものごとのために、
長い時間性をとってしか表せないものごとのために、
僕らはひたすら走り、またこうして小説を書く。

 
ピストルの音と共に真剣に走りだす子どもたちと応援する家族。幼稚園の運動会が描かれる第2話。

長距離ランナーにとって大事なのはあくまでも自分が決めた基準であって、それは小説家(もしくはすべてのクリエイター)とよく似ているのだと村上春樹は語っています。

書いたものが自分の設定した基準に到達できているかいないかというのが何よりも大事になってくるし、それは簡単には言い訳のきかないことだ。他人に対しては何とでも適当に説明できるだろう。しかし自分自身の心をごまかすことはできない。
(走ることについて語るときに僕の語ること:P25)

自分をごまかさず、自分の設定した基準をクリアすることによって、より自分を高めていくこと。それがよりよく生きるということに繋がっていくのでしょう。

 
 

第3話は1月2日12時20分頃。5区4キロ地点を今年が最後になる東海大4年生の柏原選手が先頭で駆け抜けていきました。

走ることについて語ること 第3話

やっとゴールのマラトン村にたどり着く。
炎天下の42キロを走り終えた達成感なんて、どこにもない。
頭にあるのは「ああ、もうこれ以上走らなくてもいいんだ」ということだけ。
村のカフェで一息つき、冷えたビールを心ゆくまで飲む。
ビールはもちろんうまい。
でも、僕が走りながら切々と想像していたビールほどうまくない。
正気を失った人間の抱く幻想くらい美しいものは、この現実世界のどこにも存在しない。

 
42.195キロ・フルマラソンのゴールシーン、極限の状態から解放された瞬間を集めた第3話。

ランナーになったばかりの村上春樹が1983年に訪れたギリシャでオリジナルのマラソンコースを走ったときの話がベースになっています。

朝の5時半にアテネを出発し、3時間51分かかってマラトン村へ。

マラトン村の朝のカフェで、僕は心ゆくまで冷えたアムステル・ビールを飲む。ビールはもちろんうまい。しかし現実のビールは、走りながら切々と想像していたビールほどうまくはない。正気を失った人間の抱く幻想ぐらい美しいものは、現実世界のどこにも存在しない。
(走ることについて語るときに僕の語ること:P99)

いかにもサッポロビールの広告らしい切り取り方で、ここだけ翌日の往路でも放送されてました。

 
 

そして最後の第4話が放送されたのは1月2日12時40分頃。5区10キロ付近を独走する東海大。はるか後方では2位の早稲田と明治がデッドヒートを繰り広げていました。

走ることについて語ること 第4話

走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。
いろんな形の、いろんな大きさの雲。それらはやってきては、去っていく。
でも空はあくまで空のままだ。雲はただの客人に過ぎない。
通り過ぎ、消えていくものだ。
暑い日には暑さについて考える。寒い日には寒さについて考える。
つらいことがあった日には、いつもより少し長く、少しきつく、一周余分に走ることにしている。
そしてあとにただ、空だけを残す。

 
ある高校生のある朝のランニング風景が描かれる第4話。ランニングの途中に立ち寄った神社で祈り、砂浜で海を見つめる横顔が印象的でした。

どちらかと言うと一人でいることを好む性格の村上春樹は、走るという自分だけの時間を持つことで自分自身を見つめているのだとか。

走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空はあくまで空のままだ。雲はただの過客(ゲスト)に過ぎない。それは通り過ぎて消えていくものだ。そして空だけが残る。空とは存在すると同時に存在しないものだ。実体であると同時に実体ではないものだ。僕らはそのような茫漠とした容物(いれもの)の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、呑み込んでいくしかない。
(走ることについて語るときに僕の語ること:P35)

 

そしてあとにただ、空だけを残す。
走ることについて語ること

 
 

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