延髄蹴りと iPad 、流れ星に願いをこめて(私と息子の8日間)

2012.08.19

私と息子の8日間

あなたは子どもの延髄蹴りを食らったことがありますか?

これはそんな事件から始まった私と息子(小3)の「子育て」と「罰」をめぐる1週間の記録。
かなり長めです。

 
 

事の起こりは8月2日(木)の夜のこと。
さあそろそろ夕飯にしようかという時間帯で、私がソファに座っていたときのことでした。突然「ぱすんっ」と乾いた音がして私の首の後ろに息子の足が直撃。ソファを後ろから乗り越えようとした息子の足がムチのように私の首に襲いかかってきたのです。

ズキズキする後頭部を抑えてなんとか夕飯は食べたものの、三半規管を揺らされたのがワンテンポ遅れてやってきたようで、食べ終わったころから気分が悪くなっていきました。

それまでもソファは後ろから乗り越えては駄目だと何度言っても聞かなかった息子へのイライラと、気持ちが悪いイライラが重なって、気がついたら「今度ソファを後ろ側から登ったら iPad 没収だからね!」と息子と約束をしていました。

今、思い出すとなんでそんな約束をしたんだろうと思ってしまうのですが、その時の私には息子の慎重な性格からいって、これでもう二度とソファを乗り越えるようなことはしないだろうという確信があったのかもしれません。

でもそれは大きな誤算でした。

 
 

1日目 8月11日(土曜日)くもりときどきあめ

1泊2日で実家へ遊びに行く直前、ふとソファを見たら息子がまさに後ろから飛び越えるところでした。まず両手をソファの背について地面を蹴り、右足を背に乗せる。つづいてローリングするようにソファを転がり落ちてくるわけです。

あの右足が私の首筋に当たったわけか。あれは痛いはずだ。

蹴られた次の日ずーっと気持ち悪かったことを思い出しながら、同時に約束についても思い出していました。うーん、どうしよう。。でも、約束は約束だなと。

「約束、覚えてるよね。今度やったら iPad を取り上げるよって」

そういった瞬間、息子の顔はみるみると歪み、ソファに突っ伏して号泣。

その後、仕事を終らせてから合流する予定の私を残し、泣き続ける息子は妻と娘(4歳半)と一緒に実家へと出発していきました。

 
面倒なことになったなぁ。

 
自分で蒔いた種とは言え、今までこういう形で「罰」を与えたことがなかったので、困惑してしまったというのがこの時の正直な気持ちでした。ただはじまってしまったものはしょうがないので、移動中の妻に「私はあくまでもムチ役に徹するので、アメ役よろしく」とメール。妻からは「めちゃくちゃふてくされてたけど飴を口に入れて少し復活した」と返事が帰ってきました。

これは、自分の主義主張を表に出すのが下手な息子にとって「欲しいものをちゃんと欲しいと言う」訓練としてちょうどいいのかもしれない。きちんと反省した上で「もうしないからiPadを使わせてほしい」と言えたら使うのを許可しよう。そんなことを実家へと向かいながら考えていました。

 
息子に合うの気まずいなぁと思いながら実家へ入ると息子はなんだか普通に元気で、まるで数時間前の出来事がなかったかのよう。祖父にコロコロコミックともじバケるGの「冥バケる」を買ってもらってホクホク顔で「これはねレアパーツが入ってるんだよー」と楽しそうに説明してくれました。

罰を与えた私に対してこの態度。プイとふてくされて話してもくれないことを想定していた私には、どういう風に考えたらこうなるのか。不思議でしょうがありませんでした。

 
 

2日目 8月12日(日曜日)はれときどきくもり

実家でだらだらと過ごし、15時ごろ近所のプールへ。娘と息子はよく笑いよく遊んでいました。プールのあと少しだけ近所の公園へ。私が子どものころ遊んだその公園は今も変わらぬ姿で、遊具のペンキの色だけが不釣合いなぐらい鮮やかでした。

 
夕飯を食べて自宅へ。自宅へ戻ることで思い出したのか、ふと見ると帰りの電車の中涙を拭っている息子がいました。

ペルセウス座流星群極大の夜でしたが天気はいまいち。薄曇りの空、目を凝らしながら帰宅。

帰って息子を膝枕しながらはみがきの仕上げをしていたら今度は眉間の真ん中を死角から撃ちぬかれるような感じで膝蹴りが飛んできました。延髄蹴りのときほど威力はありませんでしたが、不意打ちにカチンときて「自分の体がどう動いたらどうなるかもっと考えろ!」と怒鳴りつけてしまいました。

 
 

3日目 8月13日(月曜日)はれときどきあめ

朝、息子は昨日の夜のことなどなかったように平常運転。いつもは「なめこやっていい?」と真っ先に聞いてくるのですが、それがないだけで、まるで最初からiPadなんか存在していないようでした。あまりにも普通だったので、逆にこっちが意地悪をしているような自責の念がふつふつと湧いてきたぐらいです。
※iOSやAndroidで遊べるゲーム「おさわり探偵 なめこ栽培キット」のこと

 
息子がiPadがやりたい!って駄々をこねてくれたらよかった。ずーっとそのほうが楽でした。

 
追い打ちを掛けるように仕事がどどっとやってきたり、炭酸水を開けたらキーボードに掛かって動かなくなったりと散々な一日。朝方まで仕事をしながら頭の中ではずーっと息子のことを考え続けていたように思います。
(キーボードは電池を抜いて乾かしたら翌日には直っていました)

 
自分が小学校3年生だったときはどうだろう? 思い返してみると私は父に叱られたことがありません。というか父と一緒に遊んだ記憶すらなく、記憶の中の父はいつも取引先との飲み会で酔っているか、ビール片手にテレビでスポーツを見ていました。
(関連記事:夏の日の小さな復讐)

今思うと父は嫌な思いをしたくなかったんでしょうね。叱ることは母にまかせて逃げていただけなんだなと。結局、その後も私とは真正面から向きあうことなく今に至っています。

夜になって雲が増え、楽しみにしていたペルセウス座流星群は今日も見れませんでした。

 
 

4日目 8月14日(火曜日)くもりときどきあめ

朝方帰宅してそのまま寝てしまったので、朝学童へ行く息子とは会えずじまい。後から朝の様子を妻に聞いたところ、特になにも言ってなかったそうです。

私はお昼前に仕事場へ行ってまた仕事漬け。あとから聞いたところ、流星群を探しながらスーパーへ行った道の途中で流れ星を見つけた息子は

 
「次に流れ星が見れたら iPad iPad iPad ってお願いするんだ」

 
そう言って真剣に星空を眺めていたんだとか。

 
 

5日目 8月15日(水曜日)くもり

息子からのアプローチが全くないまま5日、私の中で疑問が生まれました。息子には「自分でなんとかしたら状況が変わるかもしれない」という体験がないのかもしれない。

そういえば、保育園のころから並んでいる列に横入りされても嫌な顔ひとつせずにニコニコとただ待っているだけだった息子。争うことなんかしたことが。。。ない。。かも?

 
息子には息子の性格があり、個性があるにもかかわらず、知らず知らずのうちに「自分がこうあって欲しい」「こうであれば嬉しい」「こういう性格だったらこの先の社会を上手く渡っていけるだろう」と自分が考える理想の息子像を作り上げ、その姿に合わせるように仕向けていたのかもしれません。

「自分が悪いことをした罰だから我慢するしかない」「自分の楽しみのために争いたくない」そんな風に考えていたかもしれない息子のことを「なんで欲しいものを欲しいと言えないんだろう」と考えていた自分がなんだかとても恥ずかしくなりました。

 
見ているつもりで実は何一つ見ていなかったんじゃないか。そう思い知らされた一日でした。

 
 

6日目 8月16日(木曜日)くもりのちはれ

昨日の考えがのどに詰まった小骨のように、仕事をしている私の頭の中にずっと残って気になり続けていました。本当に今やってることが正しいのだろうか。そもそも「罪」は与えるべきだったんだろうか。約束自体すべきじゃなかったんじゃないか。息子が言ってくるまで待つべきだろうか。そんなことが頭の中をグルグルと回り続けました。

 
私のいないときに妻にちょっと助け舟を出してもらって話をしてもらったところ「取り上げられたものはもう返ってこない」と思っていたようで、「目的は取り上げることではなくルールを守ること」「また使いたかったらどう動いたらいいかを自分で考えてみたら?」と話をすると、途中からグズグズと泣きだし、頷きながら聞いていたのだそうです。

深夜、帰宅途中にやっと流れ星に遭遇。流れ星を見上げながら明日でこの話は終らせよう。そう心に決めました。

 
 

7日目 8月17日(金曜日)はれのちくもりときどきかみなり

仕事が一息ついたのと頭痛がひどくなったので早めに帰宅。私の体調が悪かったのもあって、息子と話すタイミングがつかめないまま一日が終わって行きました。

 
 

8日目 8月18日(土曜日)あめのちはれ

早めに寝たのかよかったのか体調も回復。息子だけが起きて何やらリビングでやっていたので、チャンスかなと私もリビングへ。息子はこれまでに集めたもじバケるGをぜんぶごちゃまぜにして新しいロボットぽいものを作り終ったところで、私を見ると、作ったものについて語りはじめました。

このままだとこれまでと同じように一日が始まってしまいそうだったので、ひと通りもじバケる話が終ったところで私から切り出してみました。

 
「ねぇ、なんか話があるんじゃないの?」

 
「うん。ある」「あのね」「あのね」

 
じわーっと息子の左目に涙が溜まっていきました。それが落ちないようにちょっと左の頬を上げながら、私の目をまっすぐに見据えて息子が言いました。

 
「どうしたらまた iPad 使わせてくれる?」

 
私はこの時の、涙がこぼれ落ちないようにぐっとこらえているその顔を、ちょっと震えたその声をきっと一生忘れることはないでしょう。

 
「どうして使えなくなったか分かってる?」と聞いてみるとちゃんと理解はしている様子。「じゃあまた使っていいよ」と言うと息子はまだうるうるした目で「やったー」と両手をあげて大喜び。「ソファの扱いもだけど、体が大きくなっているんだから、自分が動くときに人とぶつからないようにとかもう少し考えてから動くように。この話はこれで終わりじゃなくてこれからずっと続くんだからね」なんて話をしながら、ちゃんと自分から欲しいと言えるならこの先もきっと大丈夫という安堵感と、無理させてゴメンという罪悪感で、こっちまで涙が出そうでした。

 
 

今回の件は、何かを分かってもらうために「罰」を用意したのがそもそもの失敗でした。罰で縛るのではなく、きちんと根気よく説明しつづけなければいけなかった。

そして罰を解除する理由を息子に求めて引っ張ってしまったことが次の失敗。ひとしきり泣いたあとで「これから気をつけるなら iPad を使ってもいい」とすぐその場で罰そのものを無効にすべきでした。少なくともこんな形で息子にここまで言わせる必要はなかったんじゃないかと思っています。

 

この8日間で、息子が何を思い、どんなことを考えたのか。それは分かりません。

いつかどこかで似たようなことがあったとき、今回のことが「勇気を出して言葉にすることで状況が変わった成功体験」として心のどこかに残ってくれていたら、それはとても嬉しいのだけど。

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