コンピュータを使わないでデザインしていたころの話をしよう

2013.03.15

コンピュータを使わないでデザインしていたころの話をしよう

90年代中頃、バブルはもうはじけていたけれど、雑誌や広告業界はまだまだ元気。これはそんなころのお話です。

 
私がデザイン業界に就職したころは、Power Macintosh が登場したり、Illustrator のバージョンが 3.3 から 5 にバージョンアップしたりして、ゆっくりと DTP(デスクトップパブリッシング)への道を歩み始めたころでした。とはいえまだまだパソコンは実用的ではなく、ちょっとしたマークや地図を作ったりするときに少し使う程度。すべてのデザイン作業は手作業で行なっていました。

 
その当時、私がデザインしていたのはとあるファッション雜誌。
 
私の朝は「いいとも」で起きるところからはじまりました(笑)。
朝食?を食べ、シャワーを浴び、お昼の連続ドラマが終った頃に自宅を出て、繁華街をひやかしながら出版社の編集部のそばにある仕事場に着くのが大体15時半という感じ。

 
仕事場につくと、編集者やアートディレクターとその日の仕事の打ち合わせ。ライトテーブルの上にポジ写真を並べ、あーでもないこーでもないと、どんなページにするかを詰めていきます。

 
方向性が決まったら、製図台にレイアウト用紙と呼ばれるその雜誌専用の用紙をメンディングテープで貼り付けて実作業へ。鉛筆でデッサンするようにどんなページにするかを考えていきます。

 
18時すぎには夕飯に。出版社の社員食堂でその日の定食を食べたら、また仕事場へとんぼ返り。当時まだはじまって数年ぐらいで洋楽ばかりが流れる J-WAVE をだらだらと流しながら黙々とデザイン作業をしていました。

 
コンピュータを使わないでデザインしていたころのデザイン道具
当時使っていた仕事道具。左から色見本帳、三角定規、写植スケール、ペーパーセメント、ディスペンサー。ここに写っていないもので使っていたのは芯ホルダー(太めのシャープペンのようなもの)、消しゴム、修正ペン、仕上げ用のペン、カッター、T定規、製図台、メンディングテープといったところでしょうか。

 
写真は現像用の引き伸ばし機を使って任意のサイズに拡大し、それをトレースする形でレイアウト用紙に書き写しどんなトリミングでどんなサイズにするかを決めていました。小さな写真がたくさんあるようなページはいったんトレースしたものをコピーで拡大縮小して貼り付けてみたりすることも多く、貼って剥がせるペーパーセメントが大活躍でした。

 

コンピュータを使わないでデザインしていたころのデザイン道具
引き伸ばし機フジS69(左)とトレスコと呼ばれていたデザインスコープ(中)、写植文字の見本帳(右)。作業は暗室で行うのですが、夏場の暗室の暑いことと言ったらもう地獄のようでした。

 

そんなこんなで試行錯誤を繰り返し、時にはレイアウト用紙が真っ黒になって新しい用紙に書き直してみたりしながら、デザインをまとめ、編集部とアートディレクターのチェックを受けたらいよいよ仕上げ。この時点で早ければ21時ぐらい、遅いと深夜2時なんてことも当たり前でした。

 
仕上げは、赤いペンで写真の枠を描いたり、青い線で文字の指定を入れていったり。間違えたところは修正ペンで。あまりにもひどい間違いは、レイアウト用紙の上に紙を貼ったりすることもありました。
 
使っていた文字は写研の写植文字で、基本的には指定だけして印刷所にお願いするのですが、気になるところは前もって文字を印画紙に打ち出してもらって、それを切ったり貼ったりしながら文字の間を詰めてみたりなんてこともよくやっていました。
 
急いでいるときには、私が文字数を書き込んでると後ろから編集者が覗きこんで、文字数にあわせてワープロ(富士通のオアシスを使ってる人が多かった)で文章の調整が同時進行。
 
出来上がったレイアウト用紙と使うポジをセットにしてまとめたものを封筒に入れ、編集者に渡したところでその日の仕事はおしまいです。作業量は一日平均4ページぐらいだったかな。細かいキリヌキ写真がびっしりの4ページはなかなかハードでしたねぇ。運がいいと終電で帰れることもありましたが、深夜を回るのが当たり前で、編集部からタクシー券をもらって、終った人から順番に帰る感じでした。編集者のおごりで夕飯?朝飯?をごちそうになることも多かったなぁ。

 

堀内誠一のデザイン
「雑誌づくりの決定的瞬間 堀内誠一の仕事」P205より。左のような指定紙が右のようになってでてくるわけです。
 

色校正が出てくるまで自分が作ったデザインがどんな感じになるのかを見ることができなかった。そんな時代のお話でした。

 

雑誌づくりの決定的瞬間 堀内誠一の仕事
雑誌づくりの決定的瞬間 堀内誠一の仕事
an・an BRUTUS POPEYE 雑誌の黄金時代をつくった
アートディレクター堀内誠一

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