Googleロゴ「小林一茶」

2013.06.15

「ゆう然として山を見る蛙かな」小林一茶 生誕 250 周年

6月15日は江戸時代の俳人、小林一茶の誕生日。Googleロゴも小林一茶でした。

1763年6月15日(旧暦:宝暦13年5月5日)、信濃国の柏原村(現長野県上水内郡信濃町柏原)で農家の長男として生まれた小林一茶(本名:小林弥太郎)。

3歳のときに母を亡くし、8歳のときに新しい母を迎えますが、継母と折り合いが悪く、15歳で江戸に奉公に出されます。

江戸で俳句と出会い、20歳のころから俳諧師を目指すようになりました。

22歳で今日庵森田元夢の門人に。27歳のときには今日庵森田元夢が出した「俳諧千題集」に江戸一茶の名前で俳句が掲載されています。

木々おの´\ 名乗り出たる 木の芽哉
(千題集・1789)

 

俳諧師として認められるようになったのは30代になってから。関西、四国、九州を回って多くの俳人たちと出会い、「寛政句帖」や「旅拾遺」を出版しています。

 

39歳で父が亡くなると、継母や弟らと遺産相続問題で争いが起こり、10年かけてこれを解決。50歳で帰郷し、52歳で結婚しました。

54歳のときに長男千太郎が誕生しますが、生後1カ月で死別。病弱な息子に向けて詠んだ句が残されています。

やせ蛙(がえる)まけるな一茶これにあり
(七番日記・1816)

 
その後も長女さと、次男石太郎、三男金三郎と子どもを授かりますが、いずれも幼くして亡くなり、妻きくも一茶が61歳のときに亡くなっています。

名月をとってくれろと泣く子かな
めでたさも中位(ちゅうくらい)なりおらが春
(おらが春・1819)

雀の子そこのけそこのけお馬が通る
(八番日記・1819)

 

Googleロゴは小林一茶51歳のときの俳句がモチーフ。

ゆう然として山を見る蛙かな
(七番日記・1813)

一茶は65歳で亡くなるまでに2万句もの俳句を残しています。

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