村上春樹、受賞スピーチ全文翻訳

2009.02.18

ora090218_41
 
村上春樹が先日エルサレム賞を受賞した際のスピーチ全文がHAARETZに掲載されていたので翻訳してみました。

ネット上にはすでに翻訳文が多数掲載されているので、できるだけ私らしく、出来るだけ伝わりやすいように訳してみたつもり。部分的に端折ったり、追加してあったりしますが、あくまでも個人的な翻訳ですのでご容赦ください。
 
 
 
いつだって僕は卵のそばにいる
村上春樹
 
今日、僕はエルサレムにいる。嘘をつく職業であるところのプロの小説家としてだ。
 
もちろん嘘をつくのは小説家だけじゃない。政治家や外交官だって嘘をつく。ただ僕らがつく嘘はそういったたちの悪いうそじゃない。うそをついてほめられる職業なんて、小説家ぐらいだ。
 
なぜって、小説家こそ、本当の真実を告げる職業だからじゃないかと僕は思っている。ここにあるものをあっちの世界の別の場所に持っていって、きゅきゅっと磨いてやるのだ。真実なんてものほど、そのまま理解したり、表現したりするのが難しいものはない。だから僕らがあっちの世界に持っていてそこでちょっと角度を変えて光を当ててやるわけだ。ただ、最初に真実と自分との位置関係をはっきりさせなくちゃいけない。それがいい嘘をつくためには大事なことだ。
 
ただ今日という日に僕は嘘をつくつもりはない。それどころか出来る限り正直でいたいと思う。僕にだって年に数日は嘘をつかない日があるし、今日がその日なんだ。
 
だから今日、僕は本当のことを話す。かなりの数の人がこの賞をもらうなと忠告をしてきた。もう本を買ってやらないと脅すものまでいた。
  
理由はもちろん、ガザで続いている戦闘だ。国連によれば、封鎖されたガザ地区で1000人の子供や老人たちが命を落としたからだ。
 
「こんなときにイスラエルにまで旅行して賞をもらうべきだろうか」「僕が行くことで、イスラエルの戦闘行為を認めたという印象を与えるのではないか」と受賞通知を受け取ってから僕は何度も何度も自分に問いかけた。やれやれ。僕は、そんな風に受け取られたくはない。僕はどんな戦争だって反対だし、どこかの国を支持するつもりもない。もちろん本を買ってもらえなくなるのは困っちゃうけど。
 
いろいろと考えた末、僕の意思で僕はここにいる。ぼくがここに来ると決めた理由のひとつには、あまりにも多くの人が僕に行くなと言ったからだ。ほかの小説家がそうであるように、僕もあまのじゃくだ。行くなと言われれば行きたくなるし、するなといわれればしたくなる。小説家だからだと言う人もいるだろう。そう、確かに小説家は変わり者ばっかりだ。僕らは自分の見たもの、自分で触ったものしか本当に信じることができないのだから。。
 
そんなわけで、僕はここにいる。遠くにいることよりもここにくることを。目をそらすより見つめることを、沈黙するより語ることを選んだってわけだ。
 
政治的なメッセージを伝えにきたわけではない。もちろん、あることについて正しいかどうかの判断をするのは小説家の義務のひとつだ。
 
けれど、それをどう伝えるかは僕の自由だし、僕はこういうことはあっち側で語るほうが好きだ。だから僕は今ここでは語らない。
 
しかしながら、ここで、きわめて個人的なメッセージを届けさせてほしい。それは僕が小説を書く時に常に思い浮かべていることで、紙に書いて張って眺めるというより、心の壁に刻み付けている。そういったことだ。
 
 
『高く、固い「壁」と
 それにぶつかると割れてしまう「卵」があるとき、
 僕はいつだって「卵」のそばにいる』
 
 
どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていようと僕は卵のそばにいるだろう。なにが正しくて、何が間違っているかを決めるとき(おそらくは歴史が決める)壁のそばにたって仕事をする小説家の作品になんの意味もない。
 
この暗喩の意味はとても単純で明快だ。高く固い「壁」とは、戦闘機や戦車であり、爆撃機であり、ロケット砲である。そして「卵」とは、街を壊され、燃やされ、撃たれる市民である。
 
もちろんこれがすべてじゃない。もっと深く考えると、僕たち一人一人が「卵」だとも言える。ユニークでかけがいのない魂を内側に包んだ、壊れやすい「卵」だ。そして僕らは多少の違いがあってもそれぞれ高くて固い「壁」に直面している。そう、システムという名の「壁」に。僕たちを守るための「壁」はいつしか僕を殺し、次に僕たちに殺し合いをさせる。
 
僕が小説を書く理由は、個人の魂に光を当てるためだ。物語はシステムが僕らの魂をけがさないように、警戒し、警鐘を鳴らしてくれる。僕は、泣いたり、恐怖で震えたり、笑ったりする物語を書くことによって、個々の魂の独自性をはっきりさせようとすることこそが小説家の仕事であると思う。
 
 
僕の父は昨年、90歳で亡くなった。彼は教師を辞めたあとは、時に僧侶としても働いていた。大学院にいた頃、彼は軍隊に招集され、中国に送られることになる。戦後生まれの僕は、彼が朝食前に自宅の仏壇に長く深い祈りを捧げる姿を何度も見ていた。ある時、僕が彼になぜお祈りをするのかと訪ねると、彼は戦争で死んだ人々を祈っているのだと教えてくれた。
 
彼はすべての死んだ人のために祈りを捧げていた。僕は仏壇の前で正座する彼の背中に死の影がまとわりついているように感じた。
 
父は父の語った思い出とともに死んだ。思い出は失われ、僕はそれを知ることはできない。けれど、死の存在感は、今も僕の記憶に残っている。それは彼が僕に遺してくれた数少ないものの一つで、もっとも重要なものだったのだ。
 
 
僕が今日、伝えたかったことはひとつだけです。僕たちは誰もが人間であり、国籍や人種や宗教を超えていく個人であり、システムと呼ばれる固い「壁」に直面する壊れやすい「卵」です。どうやら僕たちに勝ち目はなさそうです。壁はあまりにも高く、強く、そして冷たいですから。。。もし僕たちに勝利の希望があるとすれば、それは僕たちの独自性とみんなの魂をつなぎ合わせたある種の暖かさでしょう。

少し考えてみてください。僕たちは魂を持っているがシステムは持っていない。僕たちはシステムに搾取されてはいけないし、システムがひとり歩きすることを許してはいけない。システムが僕たちを作ったわけではない。僕たちがシステムを作ったのだから。
 
これが今日語りたかったことのすべてです。
   
僕はエルサレム賞をもらったことに感謝しているし、世界中の多くの地域で僕の本が読まれていることに感謝している。そして今日ここで、話が出来たことをうれしく思うのだ。
  
Always on the side of the eggより拙訳
 
 
 
なんでか分からないけど、これは原文を読まなくては駄目だと思い、気がついたら訳してました(笑)
 
このスピーチについて、いろいろ書きたいことがないわけでないですが、何を書いても、それは的のずれた内容になってしまいそうです。彼がこのスピーチで言っているとおり、政治的なメッセージを直接話すより、物語に語らせるということなのでしょう。私がどう受け止めたのか、感じたことは私にとってのあっちの世界であるこの訳のなかに現れているような気がします。

関連してるかもしれない記事

Pocket