あたりまえのことを疑ってみるということ

2010.03.24

ル・クルーゼでご飯を炊く
 
日常の中のあたりまえ。

あたりまえがあまりにもあたりまえで
ほんとにそれがあたりまえなのかな。
と禅問答のようなことを考えることが増えてきました。
 
 
あたりまえって何だろう?
 
広辞苑によると
1.そうあるべきこと。当然。
2.ごく普通であること。なみ。
となっています。
 
私の場合、どう思っているのか考えてみると
いろんな人が普段から行っていること
をあたりまえと思うことが多いかもしれません。
 
生活はなかなか人のをみる機会が少ないので
両親や祖父母の普段の行いが
そのままあたりまえになる傾向が強いかも。。
 
 
インターネットはあたりまえを加速する
 
ブログやTwitterに書き出されるその人のあたりまえ。
どんな携帯を使って、どんなご飯を食べて
どんなものを使っているのかが一目瞭然。
 
見た分だけ今まで見えなかったあたりまえの
サンプルが増えて広がっていきます。
あの人のあたりまえ、この人のあたりまえ、
いろんな人のあたりまえが、気がつけば
自分のあたりまえになってしまっているのかも。。
 
とりわけ怖いのは物欲方面のあたりまえ。
何か買ったという出来事は文字にしやすく、
何も買わなかったことは文字になりにくいのです。
 
 
ティッシュのいらないあたりまえもある
 
松浦弥太郎は「あたらしいあたりまえ。」という本の中で、
ティッシュを処分して基本的にふきんを使ったり、
手ばなをかんですぐ洗うという日々をつづっていました。
 
あんまりにも衝撃的だったので調べてみると
結構いろんな人が実践しているようでまたビックリ。
 
あたりまえを疑ってみるといろいろあって
私の実践例でいくと
・やかんをやめてミルクパンでお湯をわかす
・炊飯器をやめて鍋でご飯を炊く
・コンビニで買い物をしない
・片道20キロまでは自転車で移動する(雨の日は除く)
・エレベーターやエスカレーターを使わない
後半は健康のためという部分もありますが(笑)
これがあたりまえだと思うと、今までなぜそれに
囚われていたのかと思うことばかりです。
 
 
自分だけのあたりまえをあたりまえに
 
考えてみるとたくさんのあたりまえは
だれかの受け売りです。
もちろん先人たちの知恵のつまったあたりまえもありますが
楽だからとかなんとなくとか
そんな理由で生まれたあたりまえも多いはず。
 
自分が納得したあたりまえ、
「そうあるべきこと」に囲まれて暮らすことが
本当の意味で豊かに暮らすってことなのかもなぁ
なんて思い始めています。
 
目先の目標としては
・壊れるまで次のものを買わない
・インターネットの前に広辞苑でチェック
・寝る前に家中が片付いていること
なんかをあたりまえにしたいところです。
 
 
あたらしいあたりまえ。
あたらしいあたりまえ。

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